マクロ経済学の役割

 マクロ経済学の役割の一つは国の経済の状態を明らかにすることだ。その方法について具体的に考えていく。

 その、判断の道具としてGDPがある。GDP・・・Gross Domestic Prodact  国内総生産、一国全体の所得の合計。

 ①、過去、そして、未来つまり予測のGDPと現在のGDPを比べて判断する。

 ②、地域や国同士を比べて判断する。

 

 国内総生産の実質成長率の推移(国際比較)のグラフ

 例えば、上の資料では実質成長率が2009年にどの国も下がっている。前年と比べると、その差は大きい。このことから、何か大ごとが起こっていることはわかる。

 2012年のイタリアと日本を比べると、イタリアは成長率が下がり気味であることがわかる。国内に問題を抱えているのだろう。

 

 このように、時間と場所の違う事柄同士を比較の対象して、現状を認識する方法がある。、

セレンディピティとは何か?茂木健一郎氏の連続ツイートから

Aという目的で行動したら、全く異なるBというものに出会う。

これが、セレンディピティの基本的な構図です。

 これを大学での学びに即して考えてみる。僕はある講座の先生に失望した。しかし、その先生の手際の悪い授業から、自ら問いを立てて、考え行動し、人に伝えることを学んだ。

 

 これが、セレンディピティだ。

 

 

 

時代精神とは何か?茂木健一郎氏の連続ツイートから

時代精神は、一方では古いものの維持からなり、一方では新しい要素の導入からなる。古さと新しさが混じり合った独特の「カクテル」が、一つの時代精神をつくる。

 

 

 このことについて、具体的に考えて行く。

 

 僕自身を例にあげる。僕は相手がどう出るかわからないうちは自分の行動を決定できない。例えば、知り合いと図書館なんか出会った時も、相手が話しかけてくれないと、知らんぷりをして通り過ぎてしまう。意地悪をしようと言うよりは、動揺しているのだ。

 僕は、自分から相手に何ができるかを考え行動したい。例えば、友達が喋りだすのをいつまでも待つのではなく、自分から言う。最近よくする謎かけも言ってみたい。そうすることで、友達とのやりとりはさらに豊かになる。

 

 相手からを待つ人格と相手に何ができるかで振る舞う人格。この二つが僕の中で混ざった時、友人とのやりとりは楽しいものになる。

時代精神について
http://lineblog.me/mogikenichiro/archives/8331410.html?t=1    より引用

図解雑学シリーズ ドラッカー経営学から

  経験と感に頼るのではなくて、経営方針、戦略に基づいて計画的に設定すること。これは、物的資源の調達の際の注意点として、本書で挙げられている。

 これを僕のサークルに当てはめて考えて行く。

 僕のサークルの理念は大学生の学生生活を豊かにすることだ。その理念を叶える企画のために、パーソナルコンピューターがいるとする。それは、理念にかなっているならば購入する。叶わないならば購入しない。

シンプルに考える 名経営者の至言 日経ベンチャー編から

 ◇ビジネスの基本は単純化すること(斎藤正勝 カブドットコム社長)

 本書では次の3つを要点として挙げている。 

□仕事を単純化して考えれば、効率は格段に上がる。

□最小の努力で最大の成果を上げる方法を見つける。

□単純化するためには、本質を考え抜く必要がある。

 

 この至言について具体的に考え行く。

 例えば、エッセイなどを書いているときも一つのエッセイに伝えたいことをいくつも盛り込んでしまうと、書いているうちに混乱する。だから、一つのエッセイで書くことは一つにするように決める。例えば、文章にしても今日起こった出来事と、それへの考察を一度に織り交ぜるのではなく、二つの文章に分けてみるとわかりやすくなる。

 例;今日友達と話しているときに無理して、付き合っていたが、それは相手からを待ち、相手とずれることを恐れる僕の性格に原因がある。

→今日友達と話しているときに無理をして付き合ってしまった。その原因は僕の性格にある。というのは、僕は相手がどう出るかわからないうちは自分から行動を起こせない。さらに、その状態のとき、道理に反していることでもやってしまう。

 

 このように、文であっても一つの文章に伝えることは一つと単純化するとリーダブルだ。

 

再帰性 ゲンロン0観光客の哲学 東浩紀著から

再帰性・・・自分の行動が他人にどう見えるのかを常に意識して行動を決定すること。つまり、他者の欲望を欲望すること。

 

 再帰性について具体的に考えていく。

 

 私は、Short Noteというエッセイ投稿アプリを利用している。いつ、どこでかも、見てくれるかもわからない顔の見えないひとに届くこと、その人の日常生活の豊かさに貢献することを目標にしていた。しかし、だんだんに僕の活動はより評価(ハート)を得ることができる記事を目指すようになっていた。というのは、僕はサークルについての記事を書いたがその記事は比較的、評価を得た。また、Short Noteを利用する自分の態度自体に対しても書いた。それは、大きな評価を得た。その後は同じような内容を多く書くようになった。その内容だと大きな評価を得ることがわかっているからだ。評価を得ること自体が目的になってしまった。だから、僕はアプリを開くたびに評価されているかどうかを気にするようになっている。

 僕は今、評価してくれること(他者の欲望)を求める(欲望する)して行動している。

友達の友達

shinya-sheep.hatenablog.com

 

 上のブログの内容が面白かった。友達の友達と一緒にいることになって気まずくなる話だった。

 

 気楽に話せる時と気楽に話せない時の違いは相手との面識だ。面識のあるものとは、気軽に話せる。話題を多く共有しているからだ。例えば、僕の友人は同じ経済が部の学生であり、共通の本を読んでいた李、ゲームが好きだったりと、話題がある。しかし、初対面の人とは話題はない。初対面の人とやり取りするには必然的にその話題を作る必要がある。自分から話すことなどが抵抗のある人はいる。その人は初対面の人に面したときうまく振舞えない。だから、事実上の初対面の人である友達と友達のまえでは気苦労することになるのは当たり前だ。

 にしても、たまに、面識のない友達同士を合わせても平気そうにしている人はいる。なぜ平気そうなのか?上に挙げたブログにもあったが、もしも偉い人を相手にしているときその偉い人(社長など)を全く面識のない人に合わせるだろうか?また、上のブログでは、仲介人は気づかいや、二人の共通の話題をぶつける気もない。その場合は、間違いなく軽んじられていると思う。社長にはしないことを自分にはしていいんだ。。。って思う。