茂木健一郎氏のツイート 脳何でも相談室から

 今の様子を、「これはこれでありがたい」と受け入れるところから、いろいろなことが始まっていく (茂木健一郎氏のブログから)

 この言葉について、具体的に考えていく。

 私の例を挙げる。私は一人でいることが多い。私は友達が少ない。たまに、大学の知り合いと遊びに行ったりするけど、なんかつまらない。すぐ帰りたい。なぜか?たぶん僕の個人的な性格つまり、言動の仕方が原因だと思う。簡単に言うと僕は、相手がどう出るかわからない限り、自分は行動を起こすことができない。他人が確実に認めてくれると考えられることしかできない。具体的に言うと、ご飯食べたいなと思っても、ずっと黙ってて、他人が「ご飯いこや」といったら、すごく元気に言う。「おれもそうおもっとったんよー。」

 意気地なしのくせに、他人がみんなと異なることをしているとそれを揶揄する。例えば先ほどの例でいうと、一人だけ帰る人がいたとすると、「なんや、あいつ、付き合い悪いな。」という。

 一度、決めたことをすぐに帰る。例えば、ご飯の例でいうと、「解散せん?」という人がいたら「それもいいね。」という。どっちやねん。結局、正しいことは自分の外側にあると考えているのだ。そのような論理で動いているから、つまらないという現状を無視してしまっている。

 相手がどう出るかわからないと自分の行動が決められない。だけど、現状を見つめて、行動するのがいい。この二つにからめとられて、結局、孤立しがちなんだ。

 こんな現状でも、すごくありがたい。と肯定することで、許せるようになってくる。

 もし、今の状況を許せなかったらどうなるか?一人でいがちなありかたを否定して、常に人といるのが絶対的だという考えを採用したら、間違いなく僕は自己否定にさいなまれる。だって、今孤立しがちなんだもん。逆にいま、友人がたくさんいる状態でこの考えを採用したら、一人でいる人間に冷たく接するようになるだろう。そして、常にいつ友人が離れるかという恐怖感にとらわれながら生きていくことになる。

 少なくとも、今の状態を肯定することは上のような強迫観念や、自己否定間にさいなまれずに済むことだけは、間違いない。

 

 

 私はいつどこでかも、わからないが、このブログをたまたまでも見てくれているあなたに届くように願って書いている。そして、そのすべての活動はあなたとわたしの日常生活が豊かになるように願って行っている。