社会的なことの独り歩き

 社会的なこととは、社会的抽象的なことだ。例えば、国家、団体、家族、理念、宗教、道義、義理、主義、思想、学説、道徳、しきたり、規則、約束、雰囲気などだ。

 それら社会的なことは、生身の個人の具体的な事情に合わせて、形作られる。例えば、義理は、人から働きかけがあるならば、それに応答するというものだ。それは、本来、人と人が協力して生きていくためだったり、お互いにやり取りを楽しみあったりという、具体的な事情に裏付けられて、ルール化したものだ。

 社会的なことの独り歩きとは、社会的抽象的なことが、生身の具体的な個人の事情を離れて、逆に生身の個人に服従を迫るようになることだ。僕と友人との関係を例に挙げて考えてみる。僕と、友人ははじめ、大好きな哲学の話で意気投合していた。彼と話しているととても楽しくて、知的好奇心が刺激された。だから、毎日大学で会って、カフェでおしゃべりしていた。でも、彼とは哲学の話はしなくなった。友達も増えて、哲学の話はまじめなイメージがあるから浮いてしまうのだ。でも、彼とは相変わらず会い続けていて、あの講義は楽だとか、彼女がどうとか、カラオケがどうとかの話をしている。前みたいに、哲学の話はしなくなっちゃった。僕は、相変わらず、好きで、自分で研究したり、考えたり、それを実践したりしている。なのに、話を聞いてくれる人はいなくなってしまった。つまらない、なのに彼との関係、彼と毎日会って、カフェでおしゃべりするという習慣だけが残り続ける。というように、もともと、話していて楽しくて、それで毎日カフェで会うという習慣だけがいつまでも残っていて、当事者たちを縛るということが社会的なことの独り歩きだ。