本から学んだことを整理整頓する 名経営者の至言 日経ベンチャー編から
本を読んで、重要だと感じた部分は必ずメモに書き留める。
必要があればファイルなどにまとめなおす。
「書くこと」を通して、自分の頭の中で2S(整理整頓)をする。
(酒巻 久 キャノン電子社長)
本書はこの至言について次の3つの要点を挙げている。
□本から学び取るためには、読み飛ばすのではなく、重要な部分をかき出す。
□書き出したものを整理し、何度も読み返すことで、自分のものにしていく。
□頭の中を整理しておけば、判断に必要な情報をスムーズに取り出せる。
では、なぜ、書き出すことが重要なのか?それは、書き出すことで、後から何度も読み返す機会が出てくるからだろう。例えば、「言葉は受け手がいて初めて、意味を宿す。」(東浩紀)という言葉がある。私はこの言葉について考えた。大学の講義を受けているとき、一人で受けているよりも、他人とともに受けているときのほうが学びのパフォーマンスが高い。理由は、他者と学問に臨んでいるときは、この人に授業の内容や、感想、意見を伝えるとしたら、どう伝えるか?と考えるからだ。このような問いは、おそらく言葉を受け止めてくれるだろう他者の存在を確信しているときしか出てこない。
そのようなに具体的に考えておいて、言葉をノートの隅にでも置いておくと、もう一度見たときに、自分の行動や、状況を今一度考える機会になる。
問い連打
遍在・・・その事物がどこにでも存在すること。
偏在・・・その事物がある場所に多量に固まってあること。
問い連打。
人が市場のことで蒼白になるときはいつか?商品開発中に色を失うようなことは何か?マーケティングとは何か?具体的にどういうことか?市場システムを垣間見れるのはどこだ。日常生活でマーケティングについて一顧できるのはどういう場合か?狡猾なポジショニングとは何か?市場はどこに偏在しているか?生物の世界に市場システムはあるか?生き物と人間の社会の違いは何か?共通点は何か?人間の特有の手練手管の技は何か?
私は、問いを上げる。なぜなら、問いは知性のタネを蒔く行為だからだ。立てた問いは、あとあとになって、僕たちを答えへと導く。僕はこの問たちをブログで公表している。それは、いつどこでかも見てくれているかどうかもわからないあなたの豊かな知性の一助になることを目的としている。
固定的な生産手段がある場合の純生産と投入労働の関係
自動車工場を設立するのに、2000万時間の労働を費やした。ここで、自動車工場は固定的な生産手段である。この自動車工場では1000万時間の労働で、自動車1000台を生み出すことができる。この、1000台が純生産だ。次の年も、その次の年も、そのまた次の年も、同じように1000万時間につき1000台の自動車を生み出していく。10年後には純生産は1万台になり、そのための労働時間は1億時間だ。また、総労働時間は、工場建設のための労働を含めて1億2000万時間だ。
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情報論的に言えば、予想できることの情報量は少ない。予想できないような意外なことの方が、情報量は多い。だから、周囲の空気に合わせた行動は、そもそも情報量が少ない。
空気を読んで、敢えてその流れとは違ったことを言ったり、行動したりすると、その情報量は大きい。誰もそのようなことを予想していないから空気を読んで、敢えて逆張りする
空気を読んで、敢えて逆張りで行くことで、その人は強く印象づけられる。もちろん、逆風も吹くし、摩擦も起こるけれども、そのことによって心身も鍛えられる。その逆張りが論理や本質の洞察に支えられていれば、なおのこと良い。
空気を読んで、敢えて逆張りするから引用
http://lineblog.me/mogikenichiro/archives/8330599.html?t=1
この言葉について具体的に考えていく。
空気を読むというのは、今置かれている状況や、文脈を的確に認知することだ。しかし、それと敢えて、異なる言動を行うことが、かえって多くの情報量をもたらすそうだ。例えば、僕のサークルの話で考えてみる。僕のサークルはある企画をしているときに、それが本来の目的からずれたものになってしまっていた。しかし、皆、それで突っ走っていた。僕はそれが納得できずに、そして、そのことを告げることもできずにサークルを休みがちになっていた。そして、今、サークルの人たちはなぜ僕が休みがちなのかわからず、さらに、サークルの運営にもわずかに支障をきたしている。今、この僕が休むことに対する、理由に関心が高まっている状況ならば、僕は自分の理由を打ち明けられ、おそらくサークルに復帰できるだろう。それが今の状況であり文脈だ。つまり、今の空気だ。しかし、なぜ僕がそもそも、打ち明けられなかったかと言えば、僕は、受け入れられないことに恐怖を抱いていたからだ。おそらく、サークルに復帰してもその状況は変わらないと思う。先のことがどうなるかは本当にはわからないけど、ぼくはサークルから一度離れてみるのも手だと思っている。今の、文脈とあえて異なることをすることで、情報量が増えるとしたら、サークルがある状態とない状態を比較できるということだろう。
つまり、空気を読んでかつ、それに従わないというのは、文脈を増やすことだ。異なる文脈を切り開くことで、文脈同士を比較できるようになり、さらなる豊かな生活に貢献できる。
問い連打
肯定・・・そのとおりであることを認めること。また、積極的に意義を認めること。論理学で、ある命題の主語と述語の関係が成立すること。また、その関係を承認すること。
否定・・・そうではないと打ち消すこと。また、非として認めないこと。論理学で、ある命題の主語と述語の関係が成立しないこと。また、その関係を承認しないこと。ヘーゲルの弁証法で、発展の契機の一。
問い連打
なぜ人はある在り方¥を肯定し、ある在り方を否定するのか?そうすることでどのような現象が現れるか?どうふるまうか?ある在り方を肯定することは人にどのようなふるまいをさせるか?否定することがもたらすいいことはいつあらわれどのようなものか?否定することの原因は何か?肯定することの原因は何か?どうふるまうか?否定という考え方と脳の関係は何か?
問いを適当に連発して、それをブログで公表した。理由は問うことは知性のタネをまくことであり、ここでまかれた種が、あなたの知性の豊かさに貢献したらいいなと思うからだ。問いを丸投げすることは失礼なことでもある。しかし、ここではあえて抽象的な問いを数多く生み出すことに集中したい。
問い連打
具体・・・現実に存在すること。それぞれの実態のある明確なありかた。
抽象・・・物事のある性質や側面をとらえ、ほかの物との共通性をとらえること。
問い連打
具体とは具体的に何か 抽象と具体の関係は何か?人はなぜ語るのか?人はどのようにして語るのか?語りの語法は時や場所によってどう違うか?また、なぜ違うか?どのようにふるまうか?抽象的なことにはどのようなことがあるか?抽象的なことは人間の言動をどのように規定するか?具体的に語るにはどのようなことに気を付ければよいか?今と昔では語られる内容はどう違うか?語られる内容が違うのはなぜか|?
私は、ここに問いを恣意的に連発している。その理由は、問いを立てることは種を植えることと同じだからだ。立てた問いは思いがけないところで、よみがえってきて、僕たちを考えることに駆り立てるんだと思う。
ところで、なぜこのようなことをブログに公開し、顔の見えないあなたに届けようとしているかというと、その問いがあなたにとっての疑問のタネにもなればいいと思うからだ。抽象的な問いを丸投げすることは実は失礼なことでもある。しかし、その抽象的な問いがあなたにも芽生えて、あなたの知性の助けになればと思って書いている。