再帰性 ゲンロン0観光客の哲学 東浩紀著から

再帰性・・・自分の行動が他人にどう見えるのかを常に意識して行動を決定すること。つまり、他者の欲望を欲望すること。

 

 再帰性について具体的に考えていく。

 

 私は、Short Noteというエッセイ投稿アプリを利用している。いつ、どこでかも、見てくれるかもわからない顔の見えないひとに届くこと、その人の日常生活の豊かさに貢献することを目標にしていた。しかし、だんだんに僕の活動はより評価(ハート)を得ることができる記事を目指すようになっていた。というのは、僕はサークルについての記事を書いたがその記事は比較的、評価を得た。また、Short Noteを利用する自分の態度自体に対しても書いた。それは、大きな評価を得た。その後は同じような内容を多く書くようになった。その内容だと大きな評価を得ることがわかっているからだ。評価を得ること自体が目的になってしまった。だから、僕はアプリを開くたびに評価されているかどうかを気にするようになっている。

 僕は今、評価してくれること(他者の欲望)を求める(欲望する)して行動している。

友達の友達

shinya-sheep.hatenablog.com

 

 上のブログの内容が面白かった。友達の友達と一緒にいることになって気まずくなる話だった。

 

 気楽に話せる時と気楽に話せない時の違いは相手との面識だ。面識のあるものとは、気軽に話せる。話題を多く共有しているからだ。例えば、僕の友人は同じ経済が部の学生であり、共通の本を読んでいた李、ゲームが好きだったりと、話題がある。しかし、初対面の人とは話題はない。初対面の人とやり取りするには必然的にその話題を作る必要がある。自分から話すことなどが抵抗のある人はいる。その人は初対面の人に面したときうまく振舞えない。だから、事実上の初対面の人である友達と友達のまえでは気苦労することになるのは当たり前だ。

 にしても、たまに、面識のない友達同士を合わせても平気そうにしている人はいる。なぜ平気そうなのか?上に挙げたブログにもあったが、もしも偉い人を相手にしているときその偉い人(社長など)を全く面識のない人に合わせるだろうか?また、上のブログでは、仲介人は気づかいや、二人の共通の話題をぶつける気もない。その場合は、間違いなく軽んじられていると思う。社長にはしないことを自分にはしていいんだ。。。って思う。

空気使いになる 茂木健一郎氏の連続ツイートから

 他人がいると、どうしても問題は難しくなる。そうではなくて、自分自身で、自分が置かれるべき「空気」、「文脈」を設定して、その中で行動する、というようなことを、ふだんから遊びとしてやっておけばいいのである。

 

 http://lineblog.me/mogikenichiro/archives/8331094.htmlから

 

 

 このことについて具体的に考える。

 例えば、普段状況に合わせて行動しない慣習の人間関係がある。例えば、ベンチでずっと与太話を熱くなっても疲れてもし続けてしまう関係だ。そのような傾向があっても例えば、授業中は状況に応じて動いて見る。例えば、授業中先生が質問を求めた時にその呼びかけに応えられるように問いをいくつか立てておくとか。そのようなことをする。

文章にして論理の正しさを確認する 名経営者の至言 日経ベンチャー編から

 ◇文章を書くことは、自分の考えの整理なる。文章力だけでなく、論理性の訓練にもなる。 (松本大 マネックス証券社長兼CEO)

 本書では次の三つの要点を挙げている。

 □いやいやながら書いている日報などでも、実は思考力を磨くトレーニングになる。

 □相手を納得させる文章を書くには、結論、構成、表現を考え抜く。

 □「何が言いたいのかわからない」といわれたら、思考が論理的でない証拠だ。

 

 

 では、論理的な文章を実践する。

 「序論」→「本論(論証)」→「結論」方式で文章を取り上げる。

  人は抽象的な基準に照らして、現実の出来事を評価する。例えば、サークルに属しているならば、サークルの企画には参加しなければいけないという規則もそうだ。この規則を基準として評価すると僕は基準からずれた言動をしていることになる。

 僕は、このような物事の判断の基準となる規則などは大いに疑い必要があれば修正を加えていくべきだと思う。

 例えば、僕がサークルを休むのは、前回の活動で企画が目的にかなっていないと思っていて、それをうまくいえなかったことを引きずっているからだ。なぜ、それが言えなかったかというと僕の個人的な問題も大きい。自分の感情を抑えないといけない。他人もそれをしなければ自分を責めるはずだと僕はおもいこんでいる。だから、ぼくは自分の感性を否定して生活することが多い。例えば、コンビニのレジでおつりが足りなかった時も、足りないなという疑問を抑えて、黙って帰ってしまった。友達とベンチに座っているときも、暑いなと思っていたのに、座り続けた。大学の授業も友達と近くで受けたかったけど、遠くで受けた。今回のサークルを休むケースには僕の個人的な要因は大きい。しかし、サークル自体が問題を抱えている可能性も高い。例えば、活動時間が長いとか、与太話で時間を長引かせているとか、意見に対して府寛容な傾向があるとか。そのように、サークルを休むことに限ったことではないが、人の行動には必ず原因がある。そう考えると、サークルを休むのは、あいつがいけないと決めつけるのでは、自分たちの欠点や問題を見えなくしてしまう可能性がある。だから、なぜ、そういうことが起きるのか?その原因は何か?どういう状況がそのような出来事を引き起こしたか?を考え抜くことが大切だ。

 もとのサークルを休むのはだめなことだ。を修正して、サークルを休むという出来事が起こるということは、なにか組織または個人が問題をはらんでいる可能性があると書き換える。

 理由を様々なことに照らして、考えていくことで、自分の採用する抽象的な基準は現状に合わせて柔軟に書き換えていくことができる。

結果の度合いを知る 図解雑学ドラッカー経営学から

事業の結果の度合いを知るには次の5つの尺度を利用する。 

 □自社の過去と比べてどうか

 □目標と比べてどうか

 □競合他社と比べてどうか?

 □業界の最高と比べてどうか??

 □他業界を含む優良企業と比べてどうか?

 

 これを、僕のShort Noteというエッセイ投稿サイトでの活動に照らして、具体的に考えていく。

 

 僕の記事は今の僕の現状を記述したものと、こうしたらいいという提案とに分かれている。こうしたらいい問う提案は抽象的なものになっている。

 僕は、記事を読んでくれた人の日常生活や知性の豊かさの助けになることを目標としている。提案が抽象的だと、実際の日常生活に適応しにくい。だから、なるべく具体例を多く使っていくことにする。

 他人の記事は起こった出来事の記述を行っている。また、コメント欄でのやりとりも盛んだ。

 最も、評価を受けている人もコメント欄でのやりとりが盛んだ。ネット上での知り合いもいるらしい。記事の内容はその日の出来事の記述を写真を交えて行っている。

 例えば、有名人のブログで、茂木さんのブログなんかは、毎日定期的に更新されている。

 

 この五つの尺度で物事を比べてわかったことは、自分は抽象的なことを書くことが多いことだ。

 そして、より高い評価を受けているユーザーはコメント欄でのやりとりが多いことが挙げられた。

もしも世界にパンと小麦しかなかったら    図解雑学マルクス経済学 松尾匡著 ナツメ社から

 「小麦」二万石と労働2400時間につき、「小麦」総生産量は8万石だ。そのうち、二万石は「種もみ」として再投入する。また、1万石は「パン」1000個の原料として、投入される。

 

 整理すると「小麦」1万石の純生産のために労働400万時間が必要だ。また、「パン」1000個のために労働100時間が必要だ。

個人消費とは何か?

 名目国内総生産(支出側)は476兆円だ。(2009年)そのうち個人消費は283兆円だ。約5割弱の需要が個人消費ということになる。個人消費というのは例えば、せっけんや衣服、食料品のうような生活必需品や映画、や漫画、ゲームなどの娯楽商品がある。