茂木健一郎氏の連続ツイートから 空気は変えることもできる

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 周囲に合わせて、目立たないようにしているのが、良い、とされているコミュニティに、ある人が来て、自由に表現することのたのしさ、よろこびを自然に発していれば、やがてコミュニティ自体の雰囲気が変わるということはある。

 

 また、あるふるまいのミームは、空間や時間の限定を超えて、思わぬ遠くに共鳴者を見出すことがある。一気にあるコミュニティが変わるというよりは、ぽつ、ぽつとネットワークの中で変化が起こってくる。

(茂木氏ツイートから引用)

 

 上の2つの言葉について具体的に考えていく。

 

 僕のサークルを例に挙げる。僕のサークルではたまに、道理に合わないことが起きる。目的と企画内容が異なることだ。しかし、みな何事もなく取り組む。僕は、本来の目的を支持していたし、それにかなった企画にするべきだと思っていた。

 しかい、そのことをうまく伝えられずに苦しくなって、サークルをぽつぽつと休むようになった。このときの、目的と企画がずれていること、さらにそれを無視するという言動その在り方が今の僕のサークルの空気だといえる。こんなときに、具体的に行動して、提案できたならば、少しは状況つまり、空気は変わるだろう。

 さらに、具体的に振る舞うことで、現状に応じて行動することを、思わぬところで誰かが見てくれているかもしれない。例えば、サークルの活動などを通じて、その在り方に共感してくれる人がいるかもしれない。その共感は時間や場所を超えて起こり、新しいつながりを作るかもしれない。

本質を突いた書物を繰り返し読む 名経営者の至言 日経ベンチャー編から

 本質・・・あるものを成り立たせている根本的な性質。それが欠けてはその者が成り立たない本性。 

 

 毎年決まった本を繰り返し読む。情報を得るためでなく、自分を磨くための鍛錬である。自分の日ごろの言動や社会の状態と照らし合わせながら、一行づつゆっくりと読む。(井上英明 パーク・コーポレーション社長)

 

 本書ではこの至言に対して、次の三つの要点を挙げている。

 □何度開いた本でも、本質を突いた書物は、読み返すたびに発見がある。

 □「これはいい」「気になる」と感じた理由を考え、自己分析を深める。

 □何度も読み返したくなる本と巡り合えるほど、たくさんの本を読む。

 

 

 □「これはいい」「気になる」と感じた理由を考え、自己分析を深める。のことについて、具体的に考えていく。

 説得するときは具体的に伝える。つまり、相手の身体感覚に訴える。体験してもらう。

 脳はノイズをカットして受け付けない。いくら、理屈で説得しても応じない時が人にはある。例えば、僕のサークルでいうと、いくら、今の企画の現状や、それが目的からずれていることを言っても、こうしたら目的に沿うと提案しても、かれはぽかんとしている。彼にとって、今の在り方こそが肯定されるべきすべての物だから、それと異なる在り方は彼の脳の検閲に引っかかってはじき出される。しかし、体は違う。身体感覚を伴って体験した事柄はその体感はからの身体にとどまり続ける。そして、純分に熟考される。だから、身体に伝える。具体的には提案があるならばすでにそれを実現している状態が望ましい。その提案が彼らの在り方と異なればそれは必ず排除されるから、実現して、しばらくするまで相談してはならない。一度、排除されると脳に免疫がついて、次はもっと難しいくなる。

 僕は、なぞなぞやなぞかけをツイッターで発信する計画を立てている。その企画は、水面下で進行している。具体的に形として提示できるまで、堪える。

 

イノベーション

 イノベーション・・・新機軸。革新。新製品の開発、新生産様式の導入、新市場の開拓、新原料・新資源の開発、新組織の形成などによって、経済発展や景気循環がもたらされるとする概念。シュンペーターの用語。また、協議には技術革新の威に用いる。(デジタル大辞泉

 

 では、僕の所属しているサークルでイノベーションを実践するとしたら、どうするか?考えていく。

 僕の属すサークルは、大学の生徒会みたいなものだ。大学が催す口座の宣伝やら、講演会の宣伝やらをしている。しかし、私たちの、組織の目標はあくまでも大学生の学生生活を豊かにすることにある。だから、私たちから直接大学生たちに届ける企画があってもいい。だから、新しくツイッターで公式アカウントを立ち上げて、そこで大学生に向けたクイズやなぞなぞを発信することにする。(新商品、新企画)そのため、なぞなぞやなぞかけの創出方法を私は研究する。なぜ、なぞなぞやクイズを供給することを考えたのか?理由をいくつか挙げる。まず、なぞなぞやなぞかけは語彙をよく使用する。異なる語彙と語彙を発音を媒介にして、結びつけるものだ。例えば次のなぞかけ、、、「面白いゲーム」と掛けて、「赤道直下の国」と解く、その心は?どちらも飽き(秋)がこないでしょう。つまり、」大学生活に語彙の面で貢献できる。

問い連打

 体感・・・体で感じること。

 体験・・・直接自分自身が経験すること。

  

 問い連打

 

 

風采の良いものに対する体感はどのよなものか?装いを整えているとき、固定的な生産手段について学んでいる教室で、学習体験はどのぐらい胡乱なものになるか?体がおぼつかない状態とはどういう状態か?労働するとき、愕然とすることは何か?生産中不意を突かれた経験は何か?

 

 

 

問い連打

 原理主義・・・聖典などの理念的な原理を重視し、世俗的な信仰を邪教とみなす信念や傾向。

 世俗的・・・世間一般にみられる様。俗っぽいさま。

 カルト・・・反社会的な宗教団体。

 

 問い連打

 

 原理主義と矜持の違いは何か?世俗的なことの自負とは何か?カルトの沽券にかかわることとは何か?世俗のものとは具体的にどういう在り方か?世間の物が忸怩たる野はいつか?カルト的なときいつ後ろめたい気持ちになるか?貪婪と原理主義の関係は何か?世俗の物が克己するときはいつか?

 

 この問い連打では、なるべく多種類の単語を使って文章にしている。なぜなら、単語は、思考の主人だからだ。というのは、「矜持」という単語を知っているものと、知らないものの違いは、現状を認識し伝えることができるかどうかだ。単語を知っていれば、今の現状はそれにあたると言葉で認識し、伝えることができる。この問い連打で異なる単語をつぎはぎするのは、異なる語彙に触れることでもある。そして、これをブログに挙げる理由は、何かの間違いで、これを見てくれているかもしれない、顔の見えないあなたの知性のわずかな助けになればいいと思っての事だ。

空気は一つではない 茂木健一郎氏のツイートから

 

ところで、「空気を読む」と言っても、その「空気」なる文脈は、どのようなコミュニティに身を置くかで異なる。「空気」からの同化圧力も、変化する。

たとえば、周囲と合わせるのがよしとされるコミュニティもあるだろうし、逆に他の人と違ってこそ価値がある、というコミュニティもある。その二つで、「空気」は違う。

コミュニティを移動すると、「空気」も変わる。この世に、「空気」は一つしかないのだという思い込みから解放される。だからこそ、旅することや、社会的移動を続けることは、大切なのである。

一般の人が興味を持たないようなことに関心がある人は、常に「普通になれ」という同化圧力にさらされる。しかし、同好の士の間に入ると、逆に「もっとやれ」「そんなものか」という疾走圧力にさらされる。空気が一変する。

世の中で新しい動きが起こる時に、しばしば集団現象なのはそのためで、世間の「空気」とは異なるローカルな「空気」が生まれることで、特別な進化が始まるのである。そのコミュニティに身を置くことが肝心になる。

逆に言えば、世間の「空気」とは異なる「空気」をいかに製造するか、「空気製造機」のし掛けが、集団的現象としての創造性、イノベーションを引き起こす上で重要なポイントだと言えるのである。

 

 

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 集団を移動するのが大切なことの理由について考える。

 

 私は、あるサークルに所属している。そのサークルの言動の在り方は、「相手からを待つ。」というものだ。これは、私もそうなのだが、相手がどう出るかで、自分の行動を決定するのだ。たとえば、企画でも、自分から、状況や目的に応じて、行動するのではなく、誰かが何かを始めるまで、ケータイをいじっている。そして、誰かが業を煮やして、何かを始めるとそれに群がって、やっと活動を始める。僕も含めて全員がこういう態度だから、何もせずにぼんやりしている無駄な時間は自然と多くなる。彼らに言わせればそれはわいわいする時間で必要なものらしい。しかし、ぼくはそんなことをするぐらいなら、さっさとやってさっさと終わらせようよと思う。活動生産性が低いんだ。

 

 こういうことになる原因は「相手からを待つ」という行動様式にある。僕は、そうではなく、状況や、文脈、目的などに応じて、ふるまうと、少なくとも、活動生産性は上がると思う。それに、僕のサークルが厄介なのは、今の、集団の状態つまり、だれも目的や、状況や文脈に基づいて動かない状態と異なる在り方を積極的にけん制することにある。というのは、ちょっとでもこれどう?とか、こうしたんやけどどう?とか、目的に応じて行動しようものなら、必ず変人扱いされる。「意識高いね。」と言われる。彼らは私も含めて、今の状況(わいわい与太話をしている状況)に従うだけで、状況に応じて行動しようとはしない。状況に応じて行動するというのは時に、状況に反することも辞さない在り方だ。例えば、集団が与太話に花を咲かせているときに、一人黙々と、企画の案を考案しておくとか、実際に企画を実践してみるとかだ。そうすることが、本当の義理だと思う。なぜなら、集団の状況に従うことがすなわち、その人にとって、重要なことだとは限らないからだ。だから、状況に応じて、行動していくことで他者に貢献できるだろう。

 話がずれた。僕のサークルは、相手がどう出るかわからないうちは行動を起こせないという行動様式を要因として、生まれたこの状況に準ずることを良しとする特徴がある。そのことが、目的化して、道理や人としてのセンスみたいなものまで、捻じ曲げることさえある。そのとき、私は死にたくなる。道理に反したことをやるのはとてもしんどいことだ。

 同一の集団にいると、その集団の行動原理や、心理を特徴としてとらえるのが難しくなる。つまり、その集団の在り方や論理を絶対化してしまうのだ。世の中にはたくさんの生き方があると気づけない。今の在り方を相対化できない。

 逆に異なる在り方を知っていると今の現状とそれを常に比較して考えることができるため、より多角的にふるまうことができる。

 

 

 

問い連打。

 金科玉条・・・それを守ることによって、自分の立場を正当化できる強力なよりどころ。

 規範・・・それに従うことが求められる行動の型。

 綱紀・・・組織を守るために欠かせない決まり。

 

 問い連打。

 慇懃と金科玉条の関係は何か?不遜な態度に金科玉条はどうかかわっているか?畏敬を抱く人に従うことと、河畔に従うことの違いは何か?畏友を綱紀で縛ろう、足を引っ張ろうとするときはいつか?また、それはなぜか?謦咳に接するときに綱紀を気にするのはなぜか?邂逅したときに金科玉条を持ち出すのはなぜか?久闊を叙するときに、昔の規範について話すのはなぜか?