イノベーション

 イノベーション・・・新機軸。革新。新製品の開発、新生産様式の導入、新市場の開拓、新原料・新資源の開発、新組織の形成などによって、経済発展や景気循環がもたらされるとする概念。シュンペーターの用語。また、協議には技術革新の威に用いる。(デジタル大辞泉

 

 では、僕の所属しているサークルでイノベーションを実践するとしたら、どうするか?考えていく。

 僕の属すサークルは、大学の生徒会みたいなものだ。大学が催す口座の宣伝やら、講演会の宣伝やらをしている。しかし、私たちの、組織の目標はあくまでも大学生の学生生活を豊かにすることにある。だから、私たちから直接大学生たちに届ける企画があってもいい。だから、新しくツイッターで公式アカウントを立ち上げて、そこで大学生に向けたクイズやなぞなぞを発信することにする。(新商品、新企画)そのため、なぞなぞやなぞかけの創出方法を私は研究する。なぜ、なぞなぞやクイズを供給することを考えたのか?理由をいくつか挙げる。まず、なぞなぞやなぞかけは語彙をよく使用する。異なる語彙と語彙を発音を媒介にして、結びつけるものだ。例えば次のなぞかけ、、、「面白いゲーム」と掛けて、「赤道直下の国」と解く、その心は?どちらも飽き(秋)がこないでしょう。つまり、」大学生活に語彙の面で貢献できる。

問い連打

 体感・・・体で感じること。

 体験・・・直接自分自身が経験すること。

  

 問い連打

 

 

風采の良いものに対する体感はどのよなものか?装いを整えているとき、固定的な生産手段について学んでいる教室で、学習体験はどのぐらい胡乱なものになるか?体がおぼつかない状態とはどういう状態か?労働するとき、愕然とすることは何か?生産中不意を突かれた経験は何か?

 

 

 

問い連打

 原理主義・・・聖典などの理念的な原理を重視し、世俗的な信仰を邪教とみなす信念や傾向。

 世俗的・・・世間一般にみられる様。俗っぽいさま。

 カルト・・・反社会的な宗教団体。

 

 問い連打

 

 原理主義と矜持の違いは何か?世俗的なことの自負とは何か?カルトの沽券にかかわることとは何か?世俗のものとは具体的にどういう在り方か?世間の物が忸怩たる野はいつか?カルト的なときいつ後ろめたい気持ちになるか?貪婪と原理主義の関係は何か?世俗の物が克己するときはいつか?

 

 この問い連打では、なるべく多種類の単語を使って文章にしている。なぜなら、単語は、思考の主人だからだ。というのは、「矜持」という単語を知っているものと、知らないものの違いは、現状を認識し伝えることができるかどうかだ。単語を知っていれば、今の現状はそれにあたると言葉で認識し、伝えることができる。この問い連打で異なる単語をつぎはぎするのは、異なる語彙に触れることでもある。そして、これをブログに挙げる理由は、何かの間違いで、これを見てくれているかもしれない、顔の見えないあなたの知性のわずかな助けになればいいと思っての事だ。

空気は一つではない 茂木健一郎氏のツイートから

 

ところで、「空気を読む」と言っても、その「空気」なる文脈は、どのようなコミュニティに身を置くかで異なる。「空気」からの同化圧力も、変化する。

たとえば、周囲と合わせるのがよしとされるコミュニティもあるだろうし、逆に他の人と違ってこそ価値がある、というコミュニティもある。その二つで、「空気」は違う。

コミュニティを移動すると、「空気」も変わる。この世に、「空気」は一つしかないのだという思い込みから解放される。だからこそ、旅することや、社会的移動を続けることは、大切なのである。

一般の人が興味を持たないようなことに関心がある人は、常に「普通になれ」という同化圧力にさらされる。しかし、同好の士の間に入ると、逆に「もっとやれ」「そんなものか」という疾走圧力にさらされる。空気が一変する。

世の中で新しい動きが起こる時に、しばしば集団現象なのはそのためで、世間の「空気」とは異なるローカルな「空気」が生まれることで、特別な進化が始まるのである。そのコミュニティに身を置くことが肝心になる。

逆に言えば、世間の「空気」とは異なる「空気」をいかに製造するか、「空気製造機」のし掛けが、集団的現象としての創造性、イノベーションを引き起こす上で重要なポイントだと言えるのである。

 

 

t.co

 

 

 集団を移動するのが大切なことの理由について考える。

 

 私は、あるサークルに所属している。そのサークルの言動の在り方は、「相手からを待つ。」というものだ。これは、私もそうなのだが、相手がどう出るかで、自分の行動を決定するのだ。たとえば、企画でも、自分から、状況や目的に応じて、行動するのではなく、誰かが何かを始めるまで、ケータイをいじっている。そして、誰かが業を煮やして、何かを始めるとそれに群がって、やっと活動を始める。僕も含めて全員がこういう態度だから、何もせずにぼんやりしている無駄な時間は自然と多くなる。彼らに言わせればそれはわいわいする時間で必要なものらしい。しかし、ぼくはそんなことをするぐらいなら、さっさとやってさっさと終わらせようよと思う。活動生産性が低いんだ。

 

 こういうことになる原因は「相手からを待つ」という行動様式にある。僕は、そうではなく、状況や、文脈、目的などに応じて、ふるまうと、少なくとも、活動生産性は上がると思う。それに、僕のサークルが厄介なのは、今の、集団の状態つまり、だれも目的や、状況や文脈に基づいて動かない状態と異なる在り方を積極的にけん制することにある。というのは、ちょっとでもこれどう?とか、こうしたんやけどどう?とか、目的に応じて行動しようものなら、必ず変人扱いされる。「意識高いね。」と言われる。彼らは私も含めて、今の状況(わいわい与太話をしている状況)に従うだけで、状況に応じて行動しようとはしない。状況に応じて行動するというのは時に、状況に反することも辞さない在り方だ。例えば、集団が与太話に花を咲かせているときに、一人黙々と、企画の案を考案しておくとか、実際に企画を実践してみるとかだ。そうすることが、本当の義理だと思う。なぜなら、集団の状況に従うことがすなわち、その人にとって、重要なことだとは限らないからだ。だから、状況に応じて、行動していくことで他者に貢献できるだろう。

 話がずれた。僕のサークルは、相手がどう出るかわからないうちは行動を起こせないという行動様式を要因として、生まれたこの状況に準ずることを良しとする特徴がある。そのことが、目的化して、道理や人としてのセンスみたいなものまで、捻じ曲げることさえある。そのとき、私は死にたくなる。道理に反したことをやるのはとてもしんどいことだ。

 同一の集団にいると、その集団の行動原理や、心理を特徴としてとらえるのが難しくなる。つまり、その集団の在り方や論理を絶対化してしまうのだ。世の中にはたくさんの生き方があると気づけない。今の在り方を相対化できない。

 逆に異なる在り方を知っていると今の現状とそれを常に比較して考えることができるため、より多角的にふるまうことができる。

 

 

 

問い連打。

 金科玉条・・・それを守ることによって、自分の立場を正当化できる強力なよりどころ。

 規範・・・それに従うことが求められる行動の型。

 綱紀・・・組織を守るために欠かせない決まり。

 

 問い連打。

 慇懃と金科玉条の関係は何か?不遜な態度に金科玉条はどうかかわっているか?畏敬を抱く人に従うことと、河畔に従うことの違いは何か?畏友を綱紀で縛ろう、足を引っ張ろうとするときはいつか?また、それはなぜか?謦咳に接するときに綱紀を気にするのはなぜか?邂逅したときに金科玉条を持ち出すのはなぜか?久闊を叙するときに、昔の規範について話すのはなぜか?

 

 

本から学んだことを整理整頓する 名経営者の至言 日経ベンチャー編から

 本を読んで、重要だと感じた部分は必ずメモに書き留める。

 必要があればファイルなどにまとめなおす。

 「書くこと」を通して、自分の頭の中で2S(整理整頓)をする。

 (酒巻 久 キャノン電子社長)

 

 本書はこの至言について次の3つの要点を挙げている。 

 □本から学び取るためには、読み飛ばすのではなく、重要な部分をかき出す。

 □書き出したものを整理し、何度も読み返すことで、自分のものにしていく。

 □頭の中を整理しておけば、判断に必要な情報をスムーズに取り出せる。

 

 では、なぜ、書き出すことが重要なのか?それは、書き出すことで、後から何度も読み返す機会が出てくるからだろう。例えば、「言葉は受け手がいて初めて、意味を宿す。」(東浩紀)という言葉がある。私はこの言葉について考えた。大学の講義を受けているとき、一人で受けているよりも、他人とともに受けているときのほうが学びのパフォーマンスが高い。理由は、他者と学問に臨んでいるときは、この人に授業の内容や、感想、意見を伝えるとしたら、どう伝えるか?と考えるからだ。このような問いは、おそらく言葉を受け止めてくれるだろう他者の存在を確信しているときしか出てこない。

 そのようなに具体的に考えておいて、言葉をノートの隅にでも置いておくと、もう一度見たときに、自分の行動や、状況を今一度考える機会になる。

問い連打

 遍在・・・その事物がどこにでも存在すること。

 偏在・・・その事物がある場所に多量に固まってあること。

 

 問い連打。

 人が市場のことで蒼白になるときはいつか?商品開発中に色を失うようなことは何か?マーケティングとは何か?具体的にどういうことか?市場システムを垣間見れるのはどこだ。日常生活でマーケティングについて一顧できるのはどういう場合か?狡猾なポジショニングとは何か?市場はどこに偏在しているか?生物の世界に市場システムはあるか?生き物と人間の社会の違いは何か?共通点は何か?人間の特有の手練手管の技は何か?

 

 

 私は、問いを上げる。なぜなら、問いは知性のタネを蒔く行為だからだ。立てた問いは、あとあとになって、僕たちを答えへと導く。僕はこの問たちをブログで公表している。それは、いつどこでかも見てくれているかどうかもわからないあなたの豊かな知性の一助になることを目的としている。